私は、大学で社会福祉についての勉強をさせていただいていて、主に障がい者とのキャンプのボランティアに参加させていただいていました。そこで、日本のみならず、海外の福祉の現状を知りたい、日本という国はほかの国とどういった点で福祉が行き届いているのか、また、劣っているのかを知りたくて海外ボランティアに興味を持ちました。そこで、インドネシアの児童養護施設でのボランティアの海外プログラムがあることを知り、参加させて頂けることとなりました。
<ブリンビンサリ村>
初め、車でデンパサールからブリンビンサリ村に向っている時「どこに連れて行かれるのだろう。」と感じるほど、デンパサールと景色が違いました。数少ない建物はどれも背が低く、村に入ったのだとすぐに分かりました。ブリンビンサリ村は木や花が多く、自然豊かな村でした。しかし、1つとても衝撃を受けたことがありました。ゴミです。道端のあらゆる場所にごみが散乱していました。こんなにも自然豊かな国でここまでゴミが散乱しているとは思いもしませんでした。アスラマに着くと車のドアの所まで子どもたちが迎えに来てくれて、握手をしてくれました。目が会う度に笑顔を向けてくれる子どもばかりで、初めて会ったはずなのに前から知っていたかのような気持ちになりました。村の人たちもアスラマのイヴたちも会う度に声をかけてくれて、日本とは違って地域のコミュニティがしっかりしているからこそなんだと感じました。一緒に過ごす時間が残りわずかになると、子どもたちと離れることが寂しくて休憩時間や少しの空いている時間でも子どもたちと共に過ごそうと、なんとかして時間を作るようになりました。離村式の時、子どもたちに笑顔で「I don’t cry. So, you don’t cry.」と言われ、その笑顔と言葉に涙があふれ出してしまいました。 私たちがデンパサールへ向かう日、子どもたちは4:30に起床、6:00に登校していきました。最後の日ということで、子どもたちを小学校まで送り届けました。最後の子どもを送り届ける時、寂しくなりました。ぬいぐるみをプレゼントしてくれた子供もいて、子どもたちからは本当にたくさんのものをもらいました。目に見えないものがほとんどで、笑顔の大切さ、前向きな心、感謝の気持ち、その他にもたくさんの事を学ばせていただけました。子どもたちからもらったたくさんのものが私の財産です。これから先も大切にしていきたいです。
<ホストファミリー>
初めてホームステイ先に着いた時からホストファミリーはとても優しい笑顔で迎え入れてくれ、これから過ごす14日間が楽しみになった事を覚えています。私たちは2人1部屋の2早準備してくれており、4人で一つのホームステイ先でお世話になりました。私たちのホームステイ先はワルンといい、小さなお店だったため、近所の人も良く立ち寄りいつもたくさんの人たちが話し掛けてくれる場所でした。ホストファミリーとの会話は、インドネシア語の指さし本か英語での会話で、聞き取りづらいのにもかかわらず、一生懸命聞こうとしてくれるホストファミリーの優しさがとても嬉しかったです。トイレは洋式の水洗トイレでしたが、トイレットペーパーは流してはいけないということを知らず、当たり前のように流してしまっていました。気付かずに続けていると、水つまりの原因になっていたと考えると恐ろしいです。洗濯物は全て手洗いで、すすぎや手洗いの大変さをはじめて体感する事が出来ました。マンディは、やはり夏とはいえども夜になるとかなり冷えるため寒かったですし、水が硬水のため、シャンプーなども泡立ちにくく最初3日間くらいは大変でした。4日目くらいからは、寒さと戦いながらも15分くらいで出られる程となりました。しかし、井戸水の影響か、水が少し白っぽく濁っており、少し臭いもしたのであまり、洗えているという感覚が無いと感じました。歯磨きや洗顔するときの水すらも白く濁っており、その水での歯磨きや洗顔は、購入した水でするようにしていました。こういった点で、日本人には少しあっていない環境だと感じました。そして、毎朝6時30分頃には朝ご飯としてパンやおやつの様なものと紅茶を準備してくれており、毎朝送り出してくれました。インドネシアの紅茶は砂糖を大量に入れる習慣があるらしくとても甘くて、初めて飲んだ時には衝撃が大きかったですが、数日後にはそれが普通で砂糖なしで飲むと違和感がありました。1週間が経ち、いつもと同じく私たちはアスラマへ向かい、活動をしてホームステイ先へ帰ると、ベットカバーをキレイに変えて下さっていました。そこまで気遣いをしていただいている事にその日、同室の友達と共に改めて感謝しました。離村式の日の朝に私たちは、イヴとバパに手紙を書き、渡しました。すると、イヴとバパから一人一人に香水のプレゼントがありました。包装までしてくれており、ずっと一緒に過ごしてきたイヴとバパとの別れがもうすぐ来るのだということを改めて実感し、とても寂しくなりました。14日が経ち、別れの日の朝、いつもと同じで朝ご飯を準備してくれていました。もうこれを食べられなくなるのだと思い、4人でゆっくり食べてイヴとバパと写真を撮って、別れの挨拶をしてからアスラマに向いました。インドネシアの文化を知らず、沢山迷惑を掛けてしまった私たちに最後まで親切にして下さったイヴとバパには本当に感謝しています。
<インドネシア人学生>
私たちは日本人学生のみならず、インドネシア人学生4人も共に18日間を過ごしました。初めはお互いに気を遣いながらも一生懸命、インドネシア語の指さし本で日本人学生とインドネシア人学生はコミュニケーションを取ろうとしていましたし、2日目になるとだんだん打ち解けてきて3日目になると、ワークもあり、「頑張って。」と日本人学生同士の声掛けを聞きインドネシア人学生も「頑張って。」と言ってくれるようになり、そこから少しずつコミュニケーションも増え、休憩の時間に一緒にワルンへ行ったり子どもと一緒にスポーツをしたり、互いの母国語を教え合ったりと沢山関わりを持てるようになりました。ブリンビンサリでの生活が半分を越えた頃にはすっかり仲良くなっており、昔からずっと一緒に居た友達かのように冗談を言い合ったり、バカみたいなことをして一緒にお腹を抱えて笑ったり、時には相談に乗ってくれたり相談に乗ったりと、本当に親しい関係になれました。インドネシア人のフレンドリーな性格と同じくらいの年齢と言う事もあり、仲良くなるのにもさほど時間はかかりませんでした。交流会や教会訪問の際、また日本文化プロジェクトの際に報告、連絡、相談が日本人学生とインドネシア人学生とが出来ておらずインドネシア人学生の混乱を巻き起こすようなことになり、沢山迷惑を掛けてしまったこともありました。インドネシア人学生たちは日本人学生20人に対して4人という少ない人数だったため、意見を出しにくいという時もあったと思います。それでも、コミュニケーションを取っていく中で互いの意見や考えを理解し合い、活用してみようというチャレンジ精神でなんとか18日間を協力し合いながら過ごす事が出来たのだと感じています。私たち日本人学生の意見をしっかり聞いてくれ、分からない事を一生懸命教えてくれ、親切にしてくれたインドネシア人学生4人には感謝の気持ちでいっぱいです。また、いつか会ってIWC29の活動の事について改めて話す機会が作ることが出来ればなと思っています。
<まとめ>
私たちはスィクラマさんやフォルマンさん、美和さん、ホームステイ先のイヴとバパ、アスラマのイヴ、アスラマの子どもたち、インドネシア人学生、その他にもたくさんの人たちと共にこのインドネシアワークキャンプに参加させていただきました。そして、これだけたくさんの人に支えられ、私たちはこのワークを終えることが出来ました。この18日間という短い期間の中で私たちはインドネシアの文化、インドネシアの食事、言葉、マナーなどの沢山の事を学ぶ事も出来ました。驚く事も沢山ありましたが、どれもとても良い経験となりました。ボランティアで行かせていただいたのにも関わらず、インドネシアの人々は私たちをお客様としての扱いをして下さいました。申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいでした。私自身福祉の現場を見たいという気持ちで参加させていただきましたが、インドネシアの児童養護施設と日本の児童養護施設の存在意義の違いに衝撃を受けました。日本に帰って何が出来るかと考えても出来ることは本当に些細なことで、直接的に誰かの役に立つような事なんて何も思いつきませんでしたが、私が一番に感じたことは、人と関わる時に愛情を持って関わるということの大切さでした。子どもたちは特にですが、大人の愛情に飢えています。子どもたちは大人の背中を見って育て行きます。そんな子供たちにとって、こんな大人になりたい、この人と関わっていると楽しい、面白い、安心する、そういった感情を抱いてもらえるような大人になっていきたいと感じました。インドネシアでの経験は今後私たちが生きていく人生の財産となるものとなりました。こういった経験をする機会を与えて下さったことにも感謝しています。
ありがとうございました。